記憶の海の底から

人は、脳の中に記憶の海を持っていると思う。

普段はその海の底に沈めているものが、何かの拍子に海面まで浮かんできてしまうことがある。

一度浮かび上がるとなかなか沈まず、しばらくの間ゆらゆらと海面を漂う。

 

南八代のギャラリーランズエンドで開かれている「三浦悦子展  科白のトルソ」にあわせて

彼女の作品をモチーフにした演劇「泡沫の記憶」を旧網干銀行 湊倶楽部で観劇してきた。

2日目の昼の部を観たのだが、1日目の夜も観ることにしていたら良かったとあとで思った。

レストランであって劇場ではないので外からの光が入る。舞台用の照明と合わさってその光が 役者やトルソに影を作る。その影が美しかったのだ。夜はまた違った景色だったに違いない。とても雰囲気のある空間だった。

舞台には三体の真っ白なトルソ(胸像)が置かれ、4人の役者の衣装も白、小道具もほとんどが白。

色がついていたのは「母さん」のバッグくらいだったか。あれは人間関係を理解するための親切な手がかりだった。数年前に観た舞台「千年女優」を髣髴とさせる演出だったのかな。また作・演出の鷹居さんに聞いてみよう。

「僕」のモノローグと、記憶の中の「僕と母さん」の関係、そしてその背景が断片的に絡み合った物語がトルソーの周りで繰り広げられる。

誰に感情移入して観るストーリーなのかと言えば「僕」なんだろうけど、正直「僕」のことはひたすら可哀想で気の毒だけど共感は出来なくて何故か海の底にいるというマリア様のような立ち位置で観ていたように思う。

だからラストシーンは切なくもホッとするというか鷹居さんの優しさを感じたのかもしれない。

今回の舞台に関しては初めての体験を2つほどした。1つは舞台の稽古を見学したこと。そのシーンが本番で出てきたときは「うぁ、ここだったのかーっ!!!」と内心バクバクしてました。何回も何回も同じ場面をやり直していたから大事なところなんだろうなとは思っていたけれどそこまで大切なところだったとは…。

そしてもう1つの初は、最前列のど真ん中で観たこと。あれは緊張するね。役者さんと目を合わせちゃいけないと思ってひたすら目をそらしてた。

だから明らかに遠くを見つめている場面では逆にガン見したのだけど、照明効果なのか自然光なのか役者さんの眼がキラキラしてて、「あーホントに海辺にいるみたい」と見惚れてしまった。

細かいところだけど遠くで海を眺めている時の波の音と灯台近くまで来たときの波の音が違っていて臨場感があったのも私としては評価ポイント高し。

劇中の台詞(今回は科白と書いた方がいいのか?)に「ぐるぐる、グルグル」と同じことを繰り返しているといったような表現があって、似た場面同じ科白を違う関係性にある2人がかわす表現が何度もあって、登場人物同様にこちらも混乱させられるし、でもそれだけ印象に残っている。そしてその記憶はなかなか沈まず、しばらくは私の感情を揺らし続ける気がする。

そしてその時思い出すのは舞台にいてずっとその一部始終を見守った3体の真っ白なトルソなんだろう。

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